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第50回MURオープンゼミナール
日 時 2002年 3月 2日(土曜日) 午後1時30分 開場
 午後2時~ オープンゼミナール
 午後5時~ 懇親会
内 容 1)蘇 幼波(中国唐山工程学院教授)唐山大震災の復興について
2)立木茂雄(同志社大学教授) 生活復興の実態と評価について
場 所 ひょうご共済会館5階講堂(定員110名、JR元町駅から北へ徒歩8分)
あいさつ 室崎
 地震後、市民への語りかけが必要と感じ、このオープンゼミをはじめて、今回で第50回となった。最近、市民の方への参加の呼びかけが不足していますが、今後、また多くの方に参加いただき、可能な限り続けていきたいと思います。

1)蘇 幼波(中国唐山工程学院教授)唐山大震災の復興について



●唐山について
 地震前、都市計画はなく、道路網も整備されていなかった。
●地震被害について
 地震発生は1976年7月。
 建物は壊滅状態となった。
 市域で16万人、その他で8万人の人が亡くなった。
●復興について
(救援段階)
 一定の生活ができるまで、1ヶ月~2ヶ月かかった。
 地震の18時間後、軍隊が到着し、救出活動を行った。
 全国から数万人の医師がその後到着した。
 多くの人は、他の都市へ脱出(避難)した。
(復旧段階)
 復旧・仮設住宅の建設など、6ヶ月かかった。12㎡の仮設住宅を35万戸、軍が建設した。これによって防寒の対策ができた。
(復興段階) 地震後10年で復興
 地震後2ヶ月の9月、復興計画が作成された。
 復興都市計画として、道路の整備と3つの復興地区(都市)の設定を行った。
 その他、熱供給の集中化、緑化の推進(公園の設置)、地震の記念物の整備などを行った。また、唐山は石炭の町なので、環境保護も推進した。活断層の近くには、建物を建てないようにした。
 復興計画の中心的な課題は次の通りであった。
 1)3つの都市に分散し、密度を下げた。
 2)交通の問題として、各都市間に2以上の道路を確保した。
 3)都市建設の場所としては、活断層や地盤を考慮した。
 4)建築物の耐震、建物間の距離に配慮(建物高さの1.6倍)した。
 復興計画の実施については、市の外部からはじめて(中心の人を外に移す)、段々と中に進めた。
 瓦礫の撤去は多きな問題だった。
 1986年までに、26万戸の新しい住宅が供給された。資金は26億元(約300億円)使用された。市域面積は倍となった。住宅の一戸あたりの面積は中国の平均よりも倍くらいとなった。
(質疑)
室崎:日本で言うと、酒田の大火と同じ時期に起こっています。国の条件が違うので比較できないのですが、地域熱供給システムの徹底、環境問題への配慮など、新しい課題に挑戦しているエネルギーはすばらしいです。また、原則として、市民の住宅をまず最優先して、そのあと基盤整理している点が着目されます。活断層については、一部、その近くに都市を残して、完全に移転していないのですが、その理由は何でしょうか。
蘇:3つの理由があります。
1)経済的理由 他に移ると、3倍くらいお金がかかる
2)石炭をとることに、この市の存立理由がある
3)この市の文化的継承
石東:地震前は1階建て、地震後、中層のアパートですが、地震後の共同生活の課題はありましたでしょうか。
蘇:唐山は、地震前、居住環境が悪く、15㎡で4~5人が住み、水道水の供給も、限られた場所にしかなく、冷暖房もないという状態だった。人の意識の交流が薄れていることは、あります。現在、その対策を考え始めたところです。
垂水:22万の新しい住宅の所有関係はどのようになったのか教えていただきたい。
蘇:中国の土地は国有、震災前に98%の人は国有地の上の企業の住宅に住んでいた。復興住宅に移るときも、所有関係が変わっていない。数パーセントの人の建物は、個人のものだったので、補償金がでている。今の住宅は、以前は建物も国のものだったが、1979年以降、国の政策が変わって建物の個人所有が可能となった。
垂水:震災以前には、大きな家、小さな家、と差があったと思いますが、移転後の配分の問題はありませんでしたか。
蘇:面白い問題ですね。震災前に差はありましたが、その後に、配分する時には、考慮していて、世帯の人数、勤続年数、でなされた。しかし、16世帯が移転に従わないという人たちがいて、裁判所の命令で、いつまでに出てくださいということとなって、強制移転がありました。
2)立木茂雄(同志社大学教授) 
生活復興の実態と評価について
 -震災復興と市民力-



●自己紹介
震災後、生活の復興についてテーマとして、活動してきました。
●生活の復興とは
以前と比べて、暮らしが行うことができるようになること。
最近、市民力と呼ぶ概念に注目している。市民力が、一人一人の復興を進める力となる。(結論)
●99年夏 生活の再建がテーマになる
生活再建、生活復興がこれまで問題となることはなかった。
兵庫県生活復興「パネル」調査
 7つの要素に着目
神戸市生活再建草の根の検証
 生活再建とは何か、市民に語ってもらう
  草の根の検討会(ワークショップ)
 指標化(市民にわかりやすいもの)
ワークショップ13回開催(280名) KJ法
 ポストイットで「生活再建とは ~ 」を出してもらって、似たカードを集めた。全ての意見を、分類、→ 生活再建の全体像
 分類は7つのかたまりになった
 1)住まい(意見非常に多い)
 2)人と人のつながり(意見かなり多い)
 3)まち(への愛着)
 4)こころとからだ
 5)そなえ
 6)くらしむき
 7)行政の対応
●7つの要素が生活に影響を与えているか
 地震→人間関係の変化
      次にあたらしい神戸
●あたらしい神戸
 こころざしとして
  一人一人が自立(自分のことは自分で)
  連帯、共生(みんなで助け合う)
 日々の実践として
●神戸と他都市の市民意識の比較
 自立、連帯、についての意識、神戸は他都市より10%くらい高い
●2001年度兵庫県生活復興調査(第1回定点調査)
 調査フレーム
 生活再建は、7つの要素が解決されることによって、一人一人の生活の復興観に影響を与える。
 結果
 生活の再建の復興感の6割まで7つの要素で説明可能
 すまい、人と人のつながり、心のストレス、くらし向き、そなえ、などが説明能力高い。いくら払うか、身銭を切る人ほど、復興感が高い。
●人と人のつながり
 4つの項目で得点化
 連帯、近所のひとにつながりのきっかけをつくる等
 回答者を4分類した

  和・己共存は震災復興を進める「市民力」になる

●行政とのかかわり
 3類型
1)なんでも行政にしてもらう(親方行政)
2)他人の干渉をできるだけ小さく、自由第一に
3)平成町衆 自分たちで統治 行政は自分自身 ← 復興感高い
●和・己共存  
   一人一人の震災復興
  平成町衆
●市民が公共性を紡ぎだす
 震災までの世の中
   公(官) 私
 震災後
   公 私  共(協働)
●地域活動を活性化するには?
 復興計画推進プログラム(2000年4月~2001年3月)
 1)地域を支えるしくみづくり (ルールが重要)
   地域組織が自律できるしくみ(ルールが必要)
    多数派、少数意見の尊重、個人の権利、欠席者の権利
   市民と行政の参画・協働の場
    条例化(兵庫県生野町まちづくり基本条例素案)
 2)地域内での交流を深める
   親密な近隣関係が必要
   地域の見守り・助け合いの交流
    日常的な交流、助け合いの呼び水、物理的に近い、仕掛け人
 3)都市のコモンズをつくる
   皆で所有するもの
   「わがこと・わがもの」と感じるモノ・コト・体験
    阪神・淡路大震災
     和己共存を強烈に強いる体験
     1573年から74年のオランダの独立戦争 ライデン
      (市民社会の聖地 オランダ)
     「我がまち」は住民共有のもの  司馬遼太郎
      皆で所有するもの
     「我がこと・もの」意識の確認(オランダ)
      共通項があるので、知らない人同士でも会話が成立する
 4)地域ぐるみで子供をそだてる
   支援会議Ⅲの宿題となっている
(質疑)
室崎:まちの小さな広場などの場所の重要性は?
立木:ジェイコブスを読むと、歩道について気付いていた。
室崎:震災後、あらためて、ジェイコブスを理解した。
立木:トロントで高速道路反対に立っていた人がジェイコブスだった。
室崎:ジェイコブスのアメリカの大都市と死と生、1960年代に殺到して読んだ。効率だけでまちをつくることへ一石を投じた。これに衝撃を受けた。
立木:日本語訳されていないところにも、重要なことが書いてあります。環境をつぶすには、住民を分断すること。
野崎:市民社会とはなにか、まちづくりのなかで考えている。だんじりとか、イメージとしてあるが、ルールのことが、地域社会で血肉化されていない。安易に「町衆」では、誤解があるかもしれない。
立木:ものごとは、4つの権利(ルール)のバランスで決める、会議するときは、これを約束すると、民主主義になると考えます。市民社会が根付いていなかった。関東大震災の時も、関学など学生のボランティア活動があった。しかし、セツルメントは1938年に弾圧を受けている。1940年くらいに、戦後の骨格ができて、戦後はそのまま来てしまった。公と私の分割は、その時から。だから、まったく風土がない、というわけではない。もう一度、共の部分のルネッサンスが必要。
石東:コモンズをつくりかけているプロジェクトを行っています。とじこもりについて取り組んで、コミュニティ茶店を行って、はやっています。茶店を開店することによって、これまで用意された集会室というハードが活かされてということです。ボランティアを募集しています。
三木:市民力に感銘を受けています。青年会議所として活動しています。
青田:都市のコモンズに感銘を受けました。グローバリゼーションとの関係について、多くの人が入ってくる場合、皆で所有することがむつかしいくなるのでは?
立木:これまでは、国家にしばられていましたが、これからは、国境をこえた市民性があります。むしろ、もっと自由に紡ぎだすことができるようになってくると思います。共には、公にしばられないということがあります。
 50回目のオープンゼミ、60人ほどの参加で、無事終了しました。ご参加された皆さんのご協力の賜物です。とくに、台湾から参加のショウさん、東京から参加の鈴木恵子さん、村田さん、上西さん、復興塾から参加の石東さん、上田先生、野崎さん、久しぶりの多田千佳さん、山口浩史くん、その他の皆さんごくろうさまでした。
 蘇先生、立木先生の話も、50回にふさわしく素晴らしもので、もっと多くの人に聞いてもらいたかったと思います。立木先生の話は、現代の時代の課題を考えるうえでも、私たちの調査のいい加減さを反省するうでも、しっかりと受け止める必要があるでしょう。そにしても、本当の市民の方の参加が極端に少ないのが、反省しなければなりません。折角、市民に開かれた研究室をめざして開催しているオープンゼミなのに、市民にうけとめられないのはどうしてでしょう。大学と市民との距離を埋める努力がまだまだ足りないということでしょう。100回目のオープンゼミにむけ、市民が気楽に参加できるよう、もっと近づく努力をしなければと思います.(室崎)
 第50回オープンゼミナールおめでとうございます。また、室崎研究室25周年おめでとうございます。たぶん、長い道のりの中に、いろいろな歴史が刻まれていることを、順番に噛締められていることだろうと思います。私は、一般市民でありますが、神戸大学生どころか、学生経験もない私が、失礼ながら、唯一、学生の気分を味あわせていただいております。テストがない、宿題もないのが、すばらしくよくて(笑)ほんとうに楽しく参加させていただいております。50回記念もすばらしいゼミでした。感謝の言葉がいえなくて、この場<談話室>をお借りしました。ありがとうございました。またますますの発展を期待しております。市民との距離を埋めるという部分では、微力ですが、市民との距離を埋めるという部分では、協力出来そうですのでお役に立つことが出来ればと思っております。今後とも宜しくお願いします。(三木、談話室への書き込みより)
連絡先:神戸大学室崎・北後研究室
     TEL 078-803-6009 または 078-803-6440
MURオープンゼミナールは、広く社会に研究室の活動を公開することを企図して、毎月1回、原則として第1土曜日に開催しているものです。研究室のメンバーが出席するとともに、卒業生、自治体の都市・建築・消防関係の職員、コンサルタントのスタッフ、都市や建築の安全に関心のある市民等が参加されています。興味と時間のある方は遠慮なくご参加下さい。


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